ファンシーちんぽ

レッツデスマッチ

孤独の糞

春休みも折り返しである。

あのクソみたいな大学に行かずに一カ月が経とうとしている。

僕は友達がいないので、遊んでいない。遊べていない。だが俺はお前らみたいに髪を染めたり酒を飲んでゲロを吐き、女に腰を振るだけの青春なんて死んでも嫌なので、わざわざ極寒の原野へ赴きひたすらに歩いた。

夜はウンコを雪へぶちまける。湯気を放ち、自らの温度で雪に埋もれてゆく大便と、かつてこの地に住んでいた人々と同じ星空とを交互に見ていた。朝になると、透き通るような肌の美少女(隣のクラスにいる)の頬の産毛の如き輝きを放つ、小麦粉のような雪に野糞は隠されてしまった。自らの不浄を、不潔を、雪が隠してしまったことで自らを清潔なものだと錯覚を起こしそうになったのて、すぐに排泄されて10時間経つウンコを掘った。

ウンコはあった。行動食が消化されずに出ていた部分があったので、安心した。ナイフのように硬化したウンコは霜を纏い、俺の腑にいた頃とはずいぶんと変わってしまった。その攻撃的な頼もしさに支えられながらテン場を後にした。

 

隊は4人いたのに、ウンコをするときは孤独だ。そしてその孤高の瞬間においてのみ発見というか、フィールドの持つ美的な本質に触れることができた。探検的(あるいは冒険的な)行為を以て地球と対峙する際は、一人で向き合うことが重要なのかもしれない。

もちろん単独行は危険度が上がるが、これまでの活動でも発見は個人の主観の内で発生することが多かった。他人との会話や全体の意思決定に関わるストレスがない単独行は、行動に関わる全てのリスクを受容することで地球と向き合えるのではないだろうか。今の僕ではちょっと不安だが、トレーニングを重ねて夏に地球とタイマンしたい。がんばろ。

 

ひとり、某先輩は血尿を出していた。「キムチだ」と強がってはいたが、そんなわけはない。僕は凍ったウンコで安心を得たが、先輩は血尿に染まった雪を見て一体何に思いを馳せたのだろう。

 

 

 

 

 

 

あ、キムチか。