ファンシーちんぽ

レッツデスマッチ

鋼の肛門

肛門はたいせつだ。

健康的にウンチをするということは見逃されがちだが幸せな人生に欠かせない要素である。人は元来ウンチ(排泄行為を指す動詞、あるいは名詞として)をこよなく愛する生き物であるから、どんなに忌み嫌ってもウンチをしない人はいないしガキはウンチを純粋に崇拝しているのだ。

さてガキについて。ガキは産み落とされてからしばらくの間保護者にウンチとオシッコの世話をしてもらう。言語を習得していない彼ら/彼女らは自らの要求は泣いて知らせることしかできず、主に排泄に関わるその絶叫が届かない時、つまりコミュニケーションを失敗した時にババチビるのだ。要するに最初に手にする他者との交流手段が排泄と絶叫で、排泄による他者(保護者)との交流は潜在的に負のイメージを強く抱くようになっているのだ。しかし、ガキは成長しコミュニケーション能力をまりまりと高め、10歳前後になるとあら不思議、彼らなりの社会性を築き上げ、かなりワイルドな倫理観とユーモアセンスを携えた立派なクソガキになってしまう。彼ら/彼女らはかつて屈辱のコミュニケーションであったウンチにポジティヴなイメージを上書きすべく、道端のクソをつつき「うんち!」の一言で一生笑えるほどウンチを特別なアイコンとして扱い出すのである。

 

ウンチはくさいし、お尻から出るのでおもしろい。何よりも「うんち/うんこ/クソ」どれをとっても非常にコミカルな語感。つい呟いてしまうような日本語の究極系だ———

 

これがガキのウンチ観。ガキの持つウンチ観は至極単純であるのだが、ウンチはもちろん肛門経由で現世に落とされる運命にあるため、彼ら/彼女らの持つ純粋な好奇心と嗜虐心の充足、そして彼ら/彼女らを象徴する無垢なケツに対するデストルドーの解放を目的とした恐るべき"遊び"について触れざるを得ない。そう、カンチョーである。

ウンチを愛している彼らは、同時に学校内でウンチをした者を揶揄するといった上記の思想と矛盾する行為をとる。私は、これは潜在的に残る排泄行為の屈辱感を想起させられること、つまり他者の排泄を現実に目の当たりにすることに伴うかつての自己に感じる羞恥、そして他者の排泄というものを初めて知覚することによる嫌悪感に起因するものと考える。そしてウンチの楽園(エデン)、排泄の元凶である肛門に矛先ならぬ"指先"が向かうのだ。その衝動は本能的で意味を持たない。カンチョーはそのコミカルな響きと攻撃法に注目されることが多いが、実は純粋な暴力性の顕現と言える、非常にヒトの業を感じられる雅な文化であることを忘れてはならない。

 

ガキは俺たちが思っているよりも頑丈なので多少無理な遊び方をしてもよいのだが、カンチョーだけはマジで良くない。クソ危険なのでほんとにやめた方がいい。

私は人生で2度、カンチョーをモロに喰ったことがある。1度目は中学生の時で、2度目は高校の時。1度目はまずかった。ある冬の日だった。確か水曜だったと思う。放課後に部活の練習が終わってから、H君と下駄箱に向かって歩いていた。H君はよくいるヤンチャな中坊で、運動はちょっと引くほどできるやつだった。バカのくせにすごいなと思っていたが、私はサブカルメルヘン文学少年だったので、粗野で下品な人気者だった彼からは舐められていた。H君はよくいる中坊なので、混雑し始めていた下駄箱で靴を置こうと前屈した私の尻をめがけて一閃、4本の指をまっすぐと撃ち抜いた。そこに明確な理由はない。あるのは幼児的突発的破壊衝動のみである。初めはあまり痛みはなかったのですぐ仕返ししようと振り向いたのだが、1拍置いて脂汗が滲んだ。痛いというよりかは、肉体の破損を感じた。会陰のあたりに暖かさを覚え、痛みで視界から色が消えた。まるでゲロを処理する際に胃液を吸いとる新聞のようにじんわりと下腹部に鈍痛が広がり、私はその場に倒れ込んだ。私は次第に下校時の雑踏の中に埋もれていき、Hは高笑いしながら他のクソガキ仲間を見つけ、共にスクールバスへ消えていった。その後痛みが落ち着くのに時間はかからなかった。全校生徒から奇異の視線を全身に浴び、不名誉な様子を晒した私はゆっくりと立ち上がり、目的のない暴力と、当時好きだった女の子のこと、寺山修司の詩のことを考えながら、夕陽を背負って帰路についた。

一度カンチョーを喰った者は、鋼の肛門を手に入れる。ケツを出す動作の際は必ずアヌスを引き締め、端麗なエッジを己の菊門に深く刻むのだ。私の2度目は、防御に成功したカンチョーである。クソみてえな顧問と過ごした高校時代、私のビビッドピンクの菊門はルビーのように硬く閉ざされていた。防御があまりに完璧すぎたため誰だったかは思い出せないが、晩夏の珍しく風のない日にあるドンパが私のブラックホールへ果敢に挑戦してきた。グラセン後にフェンス出入り口の近くで、彼は卑怯な待ち伏せ戦法を以て一撃を放った。私とて常に力んでいるわけではないので、第1関節くらいまでは敵の侵入を許してしまった。だが刹那、金剛石の如き我が肛門括約筋はビシバシに収縮し異物の侵入を食い止め、ついに彼の指を離さなかった。ケツを離さず200mほど彼を引き摺り回し、ケツ力(ketsu power)を遺憾無く発揮しカンチョー未遂犯をトイレへ連行、当時私はプロテインの摂りすぎで軟便気味だったので、一気に肛門を解放。軟便地獄の刑に処した。ウンコまみれになった彼のせいで、高校の部室棟で体調不良者が続出、コロナ以上の破壊力をもったパンデミックが引き起こされたのだった。

 

H君はスポーツ推薦で私立高校へ進学した。僕は少し嫉妬しつつ一般で近所の公立へ行った。中高生の時に私を動かした原動力は、もしかすると輝かしいH君への嫉妬なのかもしれない。