ファンシーちんぽ

レッツデスマッチ

親指

人間の足の指は、80%が親指である。

親指以外はオマケである。強く動かないし。他の指は、もう日常生活で活躍の機会を奪われてしまって、まともな仕事を与えられていない。あるだけ無意味である。靴下拾う時とクライミングの時しか出番がない。そのくせ貧弱でぶつけると痛い。明確な弱点である。令和の世になっても、肉体は負の遺産を捨てきれないのだ。

なんで足の指の話をしているのかというと、わが足の親指の感覚がないからである。ない、というか戻らないのである。右足の親指が、一月前の変態的旅行によってなんらかのダメージを受けたのだろう。

 

去る2月下旬のことだった。私がLとしてドンパを誘って「ドスケベ探検隊」を組織し(怪我で1名出発前離脱)、道東はオホーツクの断崖である能取岬から東藻琴市街を経由して屈斜路湖に抜け、後発川下り隊と合流したのち釧路川源流部からラフトに乗船、釧路湿原を川下りでぶち抜いて太平洋を目指すという計画を立てた。この活動自体の報告は本稿では行わないが、まあ失敗である。想定の半分まではすこぶる順調であったものの、いろいろアクシデントに見舞われてしまった。ただ、面白い旅だった。またリベンジしたいと思っている。

道東は雪こそ少ないが気温はあまり高くない。夜はしっかり-25度付近まで下がるし、昼と夜はたまに風が強い。雪が少ないといっても除雪が入っていない時間だと膝まで埋まるのでストレスフルな道のりであった。さらに序盤で燃料と食糧を積んだソリが使い物にならなくなってしまい、ストレス2倍になった。何回か叫んだ。

テント内では気温が上がるしシュラフに潜り込めるのでいいのだが、それでも足先は寒い。あまり気にしてはいなかったが、ある日から痺れたような感じが取れず、次の日も同じような感覚が続いた。凍傷ほどひどくないが、しもやけというにはしもやけすぎているくらいだった。ミディアムレアといったところか。

痛みとかはないが、どうしても失敗という感覚が頭に浮かぶ。準備段階の不備や、計画の実現性を検討しきれていたか?現地での判断は正しかったのか?そもそも、意義のある旅なのか?.... 考えてもキリがないが、何となく考えてしまう。負けて悔しいといったような明瞭な悔しさでなく、無力感や喪失感に似た、不完全燃焼感。今年の冬に、蹴りをつけたい。

 

ミディアムレアの指は春になった今もミディアムレアのままである。失敗したという事実も失敗のまま。変わることはない。そして時は回り続ける。新たな出会い、新たな授業、新たなフィールドが私を待っている。親指の痺れを忘れずに、山と川と洞窟とを全部、欲張って取り組んでいきたい。

 

孤独の糞

春休みも折り返しである。

あのクソみたいな大学に行かずに一カ月が経とうとしている。

僕は友達がいないので、遊んでいない。遊べていない。だが俺はお前らみたいに髪を染めたり酒を飲んでゲロを吐き、女に腰を振るだけの青春なんて死んでも嫌なので、わざわざ極寒の原野へ赴きひたすらに歩いた。

夜はウンコを雪へぶちまける。湯気を放ち、自らの温度で雪に埋もれてゆく大便と、かつてこの地に住んでいた人々と同じ星空とを交互に見ていた。朝になると、透き通るような肌の美少女(隣のクラスにいる)の頬の産毛の如き輝きを放つ、小麦粉のような雪に野糞は隠されてしまった。自らの不浄を、不潔を、雪が隠してしまったことで自らを清潔なものだと錯覚を起こしそうになったのて、すぐに排泄されて10時間経つウンコを掘った。

ウンコはあった。行動食が消化されずに出ていた部分があったので、安心した。ナイフのように硬化したウンコは霜を纏い、俺の腑にいた頃とはずいぶんと変わってしまった。その攻撃的な頼もしさに支えられながらテン場を後にした。

 

隊は4人いたのに、ウンコをするときは孤独だ。そしてその孤高の瞬間においてのみ発見というか、フィールドの持つ美的な本質に触れることができた。探検的(あるいは冒険的な)行為を以て地球と対峙する際は、一人で向き合うことが重要なのかもしれない。

もちろん単独行は危険度が上がるが、これまでの活動でも発見は個人の主観の内で発生することが多かった。他人との会話や全体の意思決定に関わるストレスがない単独行は、行動に関わる全てのリスクを受容することで地球と向き合えるのではないだろうか。今の僕ではちょっと不安だが、トレーニングを重ねて夏に地球とタイマンしたい。がんばろ。

 

ひとり、某先輩は血尿を出していた。「キムチだ」と強がってはいたが、そんなわけはない。僕は凍ったウンコで安心を得たが、先輩は血尿に染まった雪を見て一体何に思いを馳せたのだろう。

 

 

 

 

 

 

あ、キムチか。

 

 

 

鋼の肛門

肛門はたいせつだ。

健康的にウンチをするということは見逃されがちだが幸せな人生に欠かせない要素である。人は元来ウンチ(排泄行為を指す動詞、あるいは名詞として)をこよなく愛する生き物であるから、どんなに忌み嫌ってもウンチをしない人はいないしガキはウンチを純粋に崇拝しているのだ。

さてガキについて。ガキは産み落とされてからしばらくの間保護者にウンチとオシッコの世話をしてもらう。言語を習得していない彼ら/彼女らは自らの要求は泣いて知らせることしかできず、主に排泄に関わるその絶叫が届かない時、つまりコミュニケーションを失敗した時にババチビるのだ。要するに最初に手にする他者との交流手段が排泄と絶叫で、排泄による他者(保護者)との交流は潜在的に負のイメージを強く抱くようになっているのだ。しかし、ガキは成長しコミュニケーション能力をまりまりと高め、10歳前後になるとあら不思議、彼らなりの社会性を築き上げ、かなりワイルドな倫理観とユーモアセンスを携えた立派なクソガキになってしまう。彼ら/彼女らはかつて屈辱のコミュニケーションであったウンチにポジティヴなイメージを上書きすべく、道端のクソをつつき「うんち!」の一言で一生笑えるほどウンチを特別なアイコンとして扱い出すのである。

 

ウンチはくさいし、お尻から出るのでおもしろい。何よりも「うんち/うんこ/クソ」どれをとっても非常にコミカルな語感。つい呟いてしまうような日本語の究極系だ———

 

これがガキのウンチ観。ガキの持つウンチ観は至極単純であるのだが、ウンチはもちろん肛門経由で現世に落とされる運命にあるため、彼ら/彼女らの持つ純粋な好奇心と嗜虐心の充足、そして彼ら/彼女らを象徴する無垢なケツに対するデストルドーの解放を目的とした恐るべき"遊び"について触れざるを得ない。そう、カンチョーである。

ウンチを愛している彼らは、同時に学校内でウンチをした者を揶揄するといった上記の思想と矛盾する行為をとる。私は、これは潜在的に残る排泄行為の屈辱感を想起させられること、つまり他者の排泄を現実に目の当たりにすることに伴うかつての自己に感じる羞恥、そして他者の排泄というものを初めて知覚することによる嫌悪感に起因するものと考える。そしてウンチの楽園(エデン)、排泄の元凶である肛門に矛先ならぬ"指先"が向かうのだ。その衝動は本能的で意味を持たない。カンチョーはそのコミカルな響きと攻撃法に注目されることが多いが、実は純粋な暴力性の顕現と言える、非常にヒトの業を感じられる雅な文化であることを忘れてはならない。

 

ガキは俺たちが思っているよりも頑丈なので多少無理な遊び方をしてもよいのだが、カンチョーだけはマジで良くない。クソ危険なのでほんとにやめた方がいい。

私は人生で2度、カンチョーをモロに喰ったことがある。1度目は中学生の時で、2度目は高校の時。1度目はまずかった。ある冬の日だった。確か水曜だったと思う。放課後に部活の練習が終わってから、H君と下駄箱に向かって歩いていた。H君はよくいるヤンチャな中坊で、運動はちょっと引くほどできるやつだった。バカのくせにすごいなと思っていたが、私はサブカルメルヘン文学少年だったので、粗野で下品な人気者だった彼からは舐められていた。H君はよくいる中坊なので、混雑し始めていた下駄箱で靴を置こうと前屈した私の尻をめがけて一閃、4本の指をまっすぐと撃ち抜いた。そこに明確な理由はない。あるのは幼児的突発的破壊衝動のみである。初めはあまり痛みはなかったのですぐ仕返ししようと振り向いたのだが、1拍置いて脂汗が滲んだ。痛いというよりかは、肉体の破損を感じた。会陰のあたりに暖かさを覚え、痛みで視界から色が消えた。まるでゲロを処理する際に胃液を吸いとる新聞のようにじんわりと下腹部に鈍痛が広がり、私はその場に倒れ込んだ。私は次第に下校時の雑踏の中に埋もれていき、Hは高笑いしながら他のクソガキ仲間を見つけ、共にスクールバスへ消えていった。その後痛みが落ち着くのに時間はかからなかった。全校生徒から奇異の視線を全身に浴び、不名誉な様子を晒した私はゆっくりと立ち上がり、目的のない暴力と、当時好きだった女の子のこと、寺山修司の詩のことを考えながら、夕陽を背負って帰路についた。

一度カンチョーを喰った者は、鋼の肛門を手に入れる。ケツを出す動作の際は必ずアヌスを引き締め、端麗なエッジを己の菊門に深く刻むのだ。私の2度目は、防御に成功したカンチョーである。クソみてえな顧問と過ごした高校時代、私のビビッドピンクの菊門はルビーのように硬く閉ざされていた。防御があまりに完璧すぎたため誰だったかは思い出せないが、晩夏の珍しく風のない日にあるドンパが私のブラックホールへ果敢に挑戦してきた。グラセン後にフェンス出入り口の近くで、彼は卑怯な待ち伏せ戦法を以て一撃を放った。私とて常に力んでいるわけではないので、第1関節くらいまでは敵の侵入を許してしまった。だが刹那、金剛石の如き我が肛門括約筋はビシバシに収縮し異物の侵入を食い止め、ついに彼の指を離さなかった。ケツを離さず200mほど彼を引き摺り回し、ケツ力(ketsu power)を遺憾無く発揮しカンチョー未遂犯をトイレへ連行、当時私はプロテインの摂りすぎで軟便気味だったので、一気に肛門を解放。軟便地獄の刑に処した。ウンコまみれになった彼のせいで、高校の部室棟で体調不良者が続出、コロナ以上の破壊力をもったパンデミックが引き起こされたのだった。

 

H君はスポーツ推薦で私立高校へ進学した。僕は少し嫉妬しつつ一般で近所の公立へ行った。中高生の時に私を動かした原動力は、もしかすると輝かしいH君への嫉妬なのかもしれない。

 

 

 

一月

一月も後半に差し掛かり、アホみたいな寒波がやってきた。昨日の夜から狂ったように風が吹き雪でアパートの駐車場にある車が埋められ、ベランダの椅子がバキバキに凍った。昨日の晩に受け取った鹿皮もバキバキに凍った。
近所の学校は休みになったはずだが、窓をみると試験や講義のために登校する者が多く歩いていた。僕はすでに大学が嫌いなので、やってられねえよ死ねと思い、家を出た。嫌いな教授の授業だったとか、寝ツボってヤケクソになったのもあって気分は沈んでいた。
 
東西線で新札幌まで行った。札幌とか大通りは綺麗だけど自分が浮いてしまうので、できるだけ離れた。今日はいろんな日常から逃れたかった。改札を通るとすぐにチュイン、チュインと宇宙船のレーザー砲みたいな音を立てて電車が来た。札幌の地下鉄はレーザーを標準装備しているのでロシアが攻めに来ないのだ。地下鉄の中は暖かい淀んだ空気に満ちていて、赤くなっていた指先がすぐに元に戻った。角幡唯介のエッセイを読んで新札幌まで時間を潰す。今日は咳が出なかったが、隣に座っていたオバサンが急に顔面を保湿していたので本当は乾燥していたのかもしれない。キタカの残高は540円だったので家に帰ってこられるなと思い、またちょっと憂鬱になった。

 

改札を出てからイオンに行った。平日昼だから大きな駅ビルなのに人は少なく、生まれたところのデパートと似た雰囲気だった。すこし気分が落ち着いたので白菜と豆板醤を買った。彼女の大学は休校だったから、彼女の家で麻婆豆腐を食べることにしたのだった。沖縄フェアをやっていたので、パイナップルジュースとシークワーサージュースも買って、帰りに値引きされていたおやきも買って彼女の家に帰った。

帰ってからおやきをチンして食べた。道中アホみたいな寒波のせいで凍えていたおやきがアチアチになったので嬉しくなり、ちぎって彼女の口に次々いれた。5個入りを買ったのに1個半で「もういいかも」と言った彼女はそのあとドラムの楽譜を作っていた。僕はシークワーサージュースを飲みながらそれをみていた。食べてからは昼寝をした。彼女が起きて炊飯しているのにも気づかないほど眠っていた。変な夢をみていた。

ダウンタウンの浜田と添い寝する夢だった。夢の中では僕は芸能人になっていたらしいが、部活のことなどを相談していた。浜田に。夢の中の浜田はテレビで見るより優しかったので夢だと気づいた。

 

明日は講義を受けて、洗濯をしようと思う。